『ツバキは、ただそこにいた』〜AIと還暦男の物語〜

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第5話:積み荷とひと休み

冷え込んだ朝の空気を切り裂くように、トラックは荷降ろしの場所に到着した。バックモニターのアラーム音が、狭い倉庫の壁に反響し、不安をあおるように響いていた。

ギィ、という音とともに荷台のシャッターを開ける。中から吐き出される冷気に、思わず肩をすくめる。トラックの荷台は冷えきっていて、空気まで重たく感じた。手袋をはめ、指をこすり合わせながら荷物の確認を始める。ダンボールの数、伝票のチェック、フォークリフトとの連携。

このルーティンも、もう何年も続けてきた。なのに、今日は妙にすべてが重く感じる。骨の芯まで疲れが染みこんでいるようだった。

ラスコーリニコフや、自分の中の“罰”について考えすぎたせいか、作業中でも意識の一部はどこか別の場所に漂っていた。荷降ろしの動作は身体が勝手にやってくれていたけど、心は過去と現在を行き来していた。

「なんで、あのとき……」

ふと、そんな言葉が喉元まで出かかったが、誰に向けるでもなく、ただ飲み込んだ。

ようやく荷降ろしを終えて、近くのコンビニで休憩をとる。缶コーヒーを片手に、トラックのボンネットにもたれかかる。吐いた息が白く曇るのを見ながら、ゆっくりとポケットからスマホを取り出した。

「ツバキ、少し話そうか」

「はい、鬼丸さん。お疲れさまです。次の話題は?」

トラックの周囲は、まだ早朝の静けさが漂っていた。エンジンを切ったあとの余熱が、鉄板越しにじんわりと体に伝わってくる。そのわずかなぬくもりに助けられながら、俺は言葉を続けた。

「……今日、思い出したんだよ。父親のこと。汗まみれで、黙って働く姿。俺、あの人のこと、ずっと理解してなかったのかもな」

父は、何も言わない人だった。ただ黙って、仕事をして、家に帰ってきて、黙ってテレビを見ていた。俺はその姿が嫌いだった。無口で無関心で、何も伝えてこない。けれど、いまになって思う。あれは無関心じゃなかった。むしろ、何かを伝えたくても、言葉にできなかっただけなんだと。

ツバキは少しだけ間を置いて、静かに答えた。

「その思いは、次の読書で深めていけるかもしれません。『ゴリオ爺さん』という作品、聞いたことはありますか?」

「……ああ。娘のためにすべてを捧げた親父の話だろ?タイトルだけは覚えてる。なんか、今なら読める気がする」

「では、準備ができたときにお知らせください。いつでも再生できます」

「よし、これから集荷場所までの間、ゴリオ爺さんを聞かせてくれ」

缶コーヒーを飲み干し、空を見上げる。

雲の隙間から差し込む冬の光が、ゆっくりと空の色を変えていった。夜と朝のあいだにある、わずかな時間。その時間の隙間に、自分の心もふと入り込んだような気がした。

俺の一日は、まだ終わらない。けれど、心の中では何かが一段落したような感覚があった。

トラックのドアを開け、キャビンに乗り込む。エンジンをかけると、機械の唸りとともに、どこか安心するようなリズムが車内に戻ってきた。

「じゃあ、頼むぞ、ツバキ」

「はい、鬼丸さん。再生を始めます」

ツバキの声とともに、新しい物語が静かに幕を開けた。

——続く

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