第6話:ゴリオ爺さんと父の影
サブタイトル:愛した父と、愛しき親父の記憶
※この章では、バルザックの名作『ゴリオ爺さん』を題材に、鬼丸が父親との記憶を重ね合わせながら“親子の愛”と“人生の報い”について語ります。初めてこのブログを訪れた方でも楽しめるように構成しています。
エンジンの低い唸りが、静かな朝の空気を震わせながら車内に響いていた。その中に流れるのは、どこか哀しげで、それでいて人間の愚かしさと愛しさが滲む語りだった。『ゴリオ爺さん』というタイトルを初めて聞いたとき、正直、ちょっと笑いそうになった。なんだそれ、と。
だが、朗読が始まるとすぐに、その物語の奥深さに引き込まれていった。
ゴリオという男は、かつて成功を収めた実業家だった。それが今では、粗末な下宿屋に身を置き、娘たちに身を削ってでも金を与え続ける。だが、その娘たちは父を訪ねることすらしなくなり、最期には見捨てられて死んでいく——そんな哀しい話だった。
俺は、思わず黙り込んだ。
その男の姿に、どうしようもなく父親の影が重なったのだ。まるで昔の父の背中が、ページの向こう側からこちらをじっと見つめているような、そんな錯覚にとらわれた。
「俺の親父もさ……多分、不器用だっただけなんだよな」
ツバキに語りかけながら、記憶の中をたどる。高校の帰り道、金もないのに新しいスニーカーを買ってくれたこと。母に叱られながらも、「あいつが欲しいっち言ったけん」って笑っていた父の顔。照れ隠しだったんだろう。「そんなもん、安かったぞ」とぶっきらぼうに言っていたが、俺はそれを素直に受け取れなかった。
感謝も、愛情も、当時の俺には重たくて、恥ずかしかった。けれど、いまならわかる。あれは、精一杯の父親なりの“表現”だった。
「ゴリオは、どこかで娘たちに見返りを求めてたんかな」
「人は無償の愛を語りますが、心のどこかに期待があることも、人間らしさの一部です」
ツバキの返答は、いつも絶妙だ。理屈として正しいのに、冷たくない。優しさがあるのに、どこか硬質な芯がある。まるで、昔の恩師と語り合っているような安心感がそこにあった。
「でもさ……それって、悲しくねえか? 愛しても、報われねぇんだぞ」
「報われない愛を経験しても、それでも愛することを選ぶ人は、強いのだと思います」
その言葉に、ふと心が震えた。誰にでも、報われなかった想いはあるだろう。でも、それでも愛することを選ぶ。その覚悟が、人生の意味なのかもしれない。
ゴリオ爺さんは、孤独死する。でも、その死が“敗北”かというと、違うような気がした。愛した相手に裏切られても、なお「娘たちは幸せでいてくれればそれでいい」と思っていた男。…いや、きっと、そう思おうとしていた男。
その姿には、どこか祈りのような、あきらめきれない願いがにじんでいた。
「ツバキ。俺、子どもたちにさ……何をしてやれたんだろうな」
「鬼丸さんが今こうして考えていること、それ自体が“何かを残す”という行為なのではないでしょうか」
ツバキの言葉が、静かに心に沁みた。俺は父親として、決して完璧じゃなかった。仕事にかまけて家を空けがちだったし、必要な言葉も足りなかった。でも、それでも子どもたちはちゃんと育ってくれた。
エンジンの音に混じって、ツバキが朗読を止めた。
「鬼丸さん、少し休憩を取りませんか?」
「ああ、そうだな。ちょうどサービスエリアが見えてきた」
朝の空は、少しずつ明るさを増していた。フロントガラス越しに、うっすらと雲が流れていくのが見える。トラックをゆっくりと滑らせながら、俺は心の奥で呟いていた。——
答えはまだ出ない。けれど——
“俺は、俺の子どもたちに、何を残せるんだろうか。”
答えはまだ出ない。でも、考え続けること、それ自体が、父親としての責任かもしれない。
——続く


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