第10話:ツボった壺
サブタイトル:くだらんことで笑える日
その日、鬼丸のトラックに積まれていたのは、古道具屋へ運ぶ家具や雑貨の数々だった。ちゃぶ台、木彫りの熊、昭和の香りがするポスター、使い古された黒電話……どれも懐かしさと一抹の寂しさを伴う品々だった。これらが誰かの家の一部だったことを思うと、その人が歩んできた時間や想いを丸ごと背負っているような気がした。思い出のかけらを預かっているような感覚になる。壊さないように、丁寧に運ばなければ――そんな気持ちが自然と湧いてくるのだった。
だが、その中にひとつだけ、異彩を放つアイテムがあった。
壺。
いや、ただの壺ではない。目を細めて見つめると、そこには……人の顔のような模様が浮かんでいた。丸い目が左右にずれていて、鼻のような形のくぼみ、そして口元はほんのりと上がっていて、まるでニヤリと笑っているようだった。その表情はどこか滑稽で、それでいて妙に惹きつけられる雰囲気をまとっていた。
「ツバキ、おい……これ、笑っとらんか?」
「……これは、ムンクの『叫び』をベースにした現代アート風の壺と推察されます」
「いや、叫びやなくて、これ絶対ニヤついとるばい。俺の高校時代の担任に似とる。授業中に誰かが居眠りしたときに見せるあの顔や」
「それは“個人的感情の投影”です」
鬼丸は、思わず吹き出した。くだらん、くだらん。でも、なんだかおかしくて仕方ない。ツバキとこうやってやりとりしてる時間が、妙に楽しく感じる。
「人は笑うとき、ほんの少しだけ過去の痛みを忘れるのかもしれません」
ツバキの言葉に、鬼丸は頷いた。たしかに最近、声を出して笑った記憶がなかった。罪と罰も、青い壺も、どこか心を締め付けるような話ばかりだった。
だが今、このツボった壺を見ているだけで、不思議と肩の力が抜ける気がした。心のどこかで張りつめていた糸が、ふっと緩むような感覚だった。くだらんものにこそ、救われる瞬間がある。
「ツバキ。くだらんって、ええな」
「はい。“くだらなさ”は、人間らしさの証です。理屈ではなく、感情の隙間からこぼれるものですね」
トラックが少し揺れて、壺がカタカタと小さな音を鳴らした。その音がまた、妙に間抜けで、可笑しかった。昔、こっそり持ち込んだガラガラの鈴が授業中に鳴ってしまい、必死に誤魔化したあのときのことを思い出した。まるで、壺自身がこの会話を聞いて笑っているかのようだった。
「そういや昔、娘が小さいとき、ペットボトルに顔描いて『お父さん』って言って遊びよったな。あれも笑ったばい」
「擬人化されたモノには、親しみやすさとユーモアが共存しています」
「お前、なんでも難しゅう言うなぁ……でも、そうかもしれん。笑えるもんがあるって、ほんとにありがたいことやな」
鬼丸は、少しだけアクセルを強めた。今日の空は晴れていて、窓から差し込む陽射しが壺に当たり、青白く輝いていた。
その光が、まるで未来の希望みたいに見えた。たとえばもう一度、家族で囲む食卓。くだらないことで笑いあえる夜。そんな普通の一日が戻ってくる気がした。
——続く


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