『ツバキは、ただそこにいた』〜AIと還暦男の物語〜

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📘第12話:峠には、言葉の化けもんが出

サブタイトル:あの人は誰だったのか

峠道に入って、30分ほどが過ぎていた。

杉林が続く細い旧道を、ナビの「経路外れ」の警告を無視して、鬼丸は構わずアクセルを踏み続けた。舗装も古く、ところどころ苔が浮き上がっているような道を、大型トラックがぎりぎりの幅で進んでいく。

助手席には、さっき拾ったヒッチハイクの女性が座っている。

白いパーカーのフードをかぶり、声は小さいがよく通る。旅慣れているのか、言葉遣いも穏やかで、まるで何年も前から知っていたような空気をまとっていた。

「……この道、初めてじゃない気がして」

彼女がぽつりと言った。

「そうなん? 俺は昔から知っとる。峠越えでよう通りよった」

「ふふ。実はこの峠、少し変わった話があるんですよ」

「ほう? どんな?」

鬼丸が目を細めると、彼女はちょっと笑って、こんな話をし始めた。

「昔ね、この峠には“話し好きのキツネ”が出たらしいんです。 人に化けて、旅人に話しかけて、どんどん話を引き出す。 で、旅人が夢中になって話しすぎると、 ふと気づいたときには、誰もいなくなってて、谷に自分の声だけがこだましてる。」

「なんやそれ。化かされたってやつやろ。バカやね、そんなもん信じる方が悪かばい」

鬼丸が笑うと、彼女はそれには笑わなかった。ただ小さく「そうかもしれませんね」とだけ返した。

そのあともぽつぽつと会話は続いた。 娘の話、仕事の話、昔の家族のこと。

彼女は、喋るというより、自然に言葉を引き出すような雰囲気を持っていた。 鬼丸も、普段は口数の多いほうではないが、この日はなぜか、つい話し込んでしまっていた。

「誰かに話すと、気持ちってちょっとだけ整理されますよね」 「言葉って、すごいですね」 と、彼女は静かに言った。

峠の道は、徐々に下りに差しかかっていた。遠くに町の灯が見えてくる。

「もうすぐやね。降りたらすぐ駅やけん」

「この先の駅で大丈夫です」

彼女は軽く頭を下げた。鬼丸もスピードを落として、駅前のロータリーにトラックを寄せた。

「気ぃつけてな」

「ありがとうございました。お父さんも」

その言葉に、鬼丸の胸が少しだけざわついた。 けれど深く考える間もなく、彼女はドアを閉めて、姿を消した。

ドアが閉まった瞬間、ふと辺りの空気が冷たくなった気がした。

鬼丸はフロントガラス越しに彼女の背中を見送ったが、その姿はすぐに駅舎の影に隠れ、見えなくなった。


集荷先での再会と警告

数分後、次の集荷先に到着。 顔見知りのじいちゃんが倉庫の前に立っていた。

「おう、今日も早かねえ。……ああ、峠道使ったんか」

「うん、なんとなくな。途中で若い娘さん拾ってな。話し好きな人やった」

「へぇ……。その人、白いパーカー着とらんやったか?」

鬼丸は背筋がひやりとした。

「着とったけど……あんた、なんで?」

じいちゃんは少し黙ったあと、低い声で言った。

「その話、このあたりじゃ昔からあるとばってん…… 言葉に気をつけんと、心までも持ってかれるっちゅうけんね」

「言葉に気をつける……?」

「人に話すってことは、心ばひらくってことやろ? そいが癒しにもなるけど、逆に、話しすぎると心の奥底まで見透かされて、気づかんうちに大事なもんまで持ってかれるとよ。まるで、魂ごと抜かれるごと」


ひとり、夜の車中で

その夜。鬼丸はトラックのシートを倒して、ふと思い出した。 彼女の名前を聞いていなかった。行き先も、荷物も、何も。

けど、あの会話は確かにあった。 心に残るほど、ちゃんとした“やりとり”だった。 彼女の笑い声、話し方、時折見せる寂しげな表情。 どれもが、現実のものに思えた。

鬼丸は、ダッシュボードに手を伸ばし、ふと気づいた。

助手席に……茶色の毛皮の毛のようなものが一本落ちていた。 その瞬間、背中がぞくっと感じたが、すぐさっきの会話を思い出し「ま、いいか……」と、それを静かに摘んで、外の闇に放った。

「……お前がキツネでもええよ。俺が笑った、それで充分やけん」

言葉がこぼれると同時に、胸の奥に何かがじんわりと染みた。 笑ったのは彼女か、自分か。それとも、峠の何かか。

トラックのエンジンが再び唸りを上げる。

その音は、誰かの笑い声にも似ていた。

——続く

🧠 続き:第12話のラスト「検証会話」

トラックが幹線道路に戻り、見慣れたコンビニの看板が視界に入ったとき、

鬼丸はふと、ツバキの存在を思い出した。

「ツバキ。……さっきの峠道、記録残っとるか?」

少しの間を置いて、ツバキの声が戻ってきた。

「はい。走行ルートは記録されています。

ですが、会話ログには“単独走行中”と記録されています」

「助手席に誰か乗っとったはずやろ?」

「センサーには、乗車検知の反応はありませんでした。ドアの開閉も……記録がありません」

鬼丸の指先が、ステアリングを軽く叩いた。

「じゃあ、あの会話は……?」

「ログ上、鬼丸さんは“独り言”として話されています。

ただし——その内容は、かなり“対話的”です。

まるで、誰かの返答に合わせて言葉を選んでいたように見えます」

「……そりゃ、お前の勘か?」

「いえ。これは“傾向解析”です。しかし、私の推定に限界はあります。

鬼丸さんが“本当に誰かと話していた”と思われるなら——それは、事実かもしれません」

「なんやそれ……」

「キツネの話。あの方が語った“言葉の化けもの”——

もしかすると、それは“誰かに話を聞いてほしいという、人の心”だったのかもしれません」

鬼丸は小さく笑った。

「……まったく。お前のそういうとこが一番、キツネっぽか」

「ありがとうございます。褒め言葉として、受け取っておきます」

山の端に、朝の光が差し始めていた。

鬼丸はアクセルをゆるめながら、少しだけ目を細めた。

たとえキツネに化かされとっても、

話せたことに、嘘はなかった。

——続く

 

 

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